休日、午前八時を過ぎたころ。
ブン太は自宅の廊下で困り果てていた。そろそろ家を出なければ部活の時間に間に合わない。
ブン太はもう一度、目の前のドアをコンコンと情けなくノックする。


 「なあ、。ほんと、マジで機嫌直してくれよ」
 「うるさいばかばか」


ドアの向こうからは、妹の不機嫌そうな声が少しくぐもって聞こえてくる。

本来ならば、今日は兄と妹、そして二人の弟の四人で仲良く遊びに行く筈だった。
公園が少し大きくなったような小規模な近所の遊園地に行って、ケーキバイキングに行って、
最後に好きなDVDをたくさんレンタルして、みんなでお菓子をつつきながら観るはずだった。
休日も部活ばかりのブン太の滅多にないオフを、四人全員の希望を満たすスケジュールで一日すべて埋めて楽しく過ごす、はずだったのに。
急に練習試合が入ってしまい、せっかくのオフが潰れてしまった。

すぐにそれを達に伝えて謝れたなら良かったけれど、
楽しそうに予定を立てる三人に、ブン太は延期を伝えることが出来なかった。
当然、言うのが遅くなれば遅くなるほど、三人の落ち込みも深くなるというのに。
その日の朝になってようやく、ブン太はにそれを伝えたのだ。それはもう、土下座でもする勢いで。

は一瞬呆れたあと、へえ、とだけ呟いて、すたすたとトイレへと向かった。
拍子抜けしながらブン太は視線でそれを追う。まさか、と顔がひきつる。
かちゃり。トイレのドアの鍵が閉まる。
ブン太が慌ててドアに駆け寄っても、当然ながら手遅れで、ドアノブは動かない。
この家で鍵がかかるドアは、玄関とトイレのそれだけだ。
この双子の妹は、不機嫌になるとそのトイレの鍵をしっかりかけて、篭もるのだ。

部活に遅刻するわけにはいかないのだが、弟妹の機嫌を損ねたまま家を出るわけにもいかず、
ブン太はトイレの前での説得を試みていた。


 「あのな、幸村君がいきなり練習試合の予定を入れちまったんだよ。休めないし、さ?」
 「でもそれって今週になってから入った予定でしょ?」
 「あ…うー……」
 「先々週から、今日はみんなで遊びに行こうって言ってたのにね」
 「ほ、ほんとごめん!ごめんなさい!この穴埋めは絶対する!そんときゃ兄ちゃんが全部奢ってやる!だから、な?なっ?」
 「………遅刻しちゃうよ」

 
言われて携帯を見ると、八時十分になろうとしている。これ以上遅くなれば確実に遅刻だ。
幸村に冗談かと思うような練習メニューを課せられるか、真田に怒号と鉄拳をお見舞いされるか。どちらもたまったものではない。
ブン太は無意味に足踏みしながら、ドアと携帯と玄関を順に見る。結局、傍らのテニスバッグを掴んだ。


 「と、とにかく今日は部活行くから!ほんとごめんな!帰ったらケーキ作ってやるからっ!」


そうドアに向かって言い、玄関へ走る。
途中で、居間で同じく不機嫌そうにしている弟達の頭を撫でて謝るのも忘れずに。


ドアの向こうの気配が慌ただしく遠ざかり玄関が閉まる音を聞き届けると、はようやく出てきた。
その表情はあまり不機嫌そうには見えない。

兄に非がないことくらいはわかっている。
確かに言い出すのは少々遅いが、大方やたら楽しみにしていた自分達を見ていたら言い出せなかったのだろうと思っているし、事実その通りだ。
ただ少し、困らせたかった。とても楽しみにしていたのは本当だから。

けれどまあ、埋め合わせの約束をしてくれた。しかも奢りでだ。それに、帰ったらケーキを作ってくれるらしい。
ブン太の作る妙に高カロリーなケーキが、は気に入っている。
女として、あまり頻繁に食べるわけにはいかないところが問題なのだけれど。
笑顔でおかえりなさいと言って迎えるくらいはしてあげてもいい、と考えながら、は居間に戻った。

まずは、このむすっと頬を膨らませている弟達の機嫌を何とかしなくてはならない。


 「(うぅん……これはなかなかのブラコン…)」


弟達の顔を見て苦笑しながら、二人の頭を撫でた。




* * *




 「ジャッカルせんぱーい……今日の丸井先輩、なんなんすかぁ?なんか、めんどくさいんすけど」


練習の合間、赤也はこっそりとジャッカルに尋ねた。
ムードメーカーであるはずのブン太は遅刻ギリギリでやって来て、それから終始重く暗い雰囲気を纏ったままだ。
それでもガムは忘れない。だが、くちゃり、と噛む音がだらしない。
ジャッカルは、さあ…と肩を竦めたが、やはりパートナー。大体の察しはつくようだ。


 「妹や弟の機嫌でも損ねたんじゃねえのか?」
 「あ〜、妹にアタマ上がんないって感じっすよね」
 「――丸井君、桑原君!試合ですよ」


柳生に呼ばれ、ジャッカルはブン太の首根っこを掴んでコートに入った。






はというと、弟達の手を引いてテニスコートに来ていた。
弟達の機嫌は直りきってはいないが、大好きな兄の姿を見ればどうにかなるかもしれない。
自分では力不足なのが少々情けなくはあるのだが。


 「あぁほらっ、兄ちゃん試合してるよ。応援したげなっ」


コートを指差して弟達の背中を押すと、目を輝かせながらフェンスに駆け寄っていった。やはり兄が大好きらしい。
も差し入れの飲み物が入ったビニール袋を地面に置いて、コートに目をやる。
テニスをするブン太を見に来るのは久しぶりだ。

三人で応援していると、サーブを打とうとしていたブン太がこちらを振り向いた。
膨らんだグリーンアップルのガムが、ぱんっと弾ける。


 「ーーーっ!?ええぇお前らどうしたんだよぃ!?」


試合中だというのに、ブン太は駆け寄ってフェンスに飛び付いた。
兄弟らしく先ほどの弟達と同じように顔を輝かせているが、コートにいる試合の相手もジャッカルも口をあんぐりとさせている。
けれどそんなものはお構いなしに、ブン太はにこにこしながらフェンスの隙間から指をのばして弟達の頭や頬を撫でている。
ブラコンは兄弟お互い様なのか、とは笑った。


 「別に、本気で怒ってたわけじゃないもん。
  二人だって、ついさっきまでむすっとしてたのに、ブン太見つけた途端はしゃぎだしちゃったよ」
 「マジかよぃちっくしょーお前らほんっとに可愛いなー」
 「…それはいいんだけどさ、真田く」


言い終える前に、何だよぃ、と顔をあげたブン太の頭に鬼のような形相の真田の拳が振り降ろされた。
あーあ、とは苦笑する。


 「この…っ、たわけがっ!!試合中にコートから出る奴があるか!!」


真田に初めて会う弟達は、真田の大音量の怒鳴り声に身体を強ばらせ、目を見張った。おっかない、と顔に書いてあるようだ。
真田に引き摺られてコートに戻っていくブン太に、ぽかんとしながら手を振った。


 「部活が終わるの待ってるからねー」


コートに戻ったブン太に言うと、急に元気になって絶妙な、彼の言うところの天才的なサーブを放つ。
得意のボレーが決まると、振り向いてVサイン。

結局、遊園地もケーキバイキングも行けなかったけれどこれも悪くない。要は全員揃ってさえいれば良いのだ。
帰りにケーキの材料を買って行こう。ケーキバイキングよりはずっと少ないけれど、みんなで作ればきっと楽しい。

コートを活き活きと駆け回る兄を見ていると、自然と顔が綻んだ。
弛んだ頬に手をあてて、ますます笑った。何のことはない、自分もしっかりブラコンだ。

兄ちゃん格好良いね、と日だまりの中弟達と微笑んだ。