「――こら、待ちなさい」


風紀委員によって月に一度行われる校門での服装検査。
毎回のことながら、私は彼女を呼び止めた。
注意をする為に呼び止めた筈なのに、私の声は自分でも驚くほど穏やかな調子だった。

彼女――さんはいつも服装検査に引っ掛かる。
リボンは結ばないし、ブラウスのボタンは二つも開いているし、
というかよく見ると彼女のブラウスは学校指定のそれではなかった。襟が丸くない。
スカートの長さは、今更取り締まろうとすれば全校の女子のほとんどが引っ掛かるだろうから最早何も言うまい。

呼び止められたさんはいつも意外なほど素直に足を止める。
ほとんどの生徒は校門より少し手前で慌てて身なりを整え、校門を過ぎた途端に崩し出す。
ならばこの服装検査に意味はあるのかと思いたくなるが、小細工をする生徒はこちらもしっかりとチェック済みだ。
さんはその手の小細工はしたことはなく、いつも私に注意されては曖昧に笑い、やり過ごし、また次の検査に引っ掛かるのだ。


服装の乱れは心の乱れ。それを正すのが私達の役目だ。
本来なら、二度目からはしっかりと注意すべきなのだけれど、私は彼女に厳しくは注意できないでいた。

校門で彼女と言葉を交わすのが楽しみになっていたから。
何か口実でもなければ、私は彼女に声などかけられないから。

彼女と話す口実を手放すのが惜しくて、私は彼女に対してはきちんと風紀委員としての仕事が出来ない。
情けない。風紀委員としては勿論、こうでもなければ好きな女性に声もかけられないだなんて男としてもかなり情けない。

軽い自己嫌悪に陥りながらも、私はせっかくさんが目の前に居るのだからと気分を入れ替えた。


 「さん。リボンはどうしたんですか?」
 「ポケットに入ってる」
 「ポケットに入れておくくらいならちゃんと付けてください」
 「はいはい」
 「はいは一回で良いんです」
 「はぁい」
 「…もう少ししゃきっとしてください、だらしないですよ」
 「ひろしくんはあたしのおかんですか」
 「私が母親なら、校門なんかでなく家の玄関で服装検査をしますよ」


ひろしくんは教育ママになりそうだね、と笑いながら、さんはブラウスの襟にリボンを通した。

私は学校ではあまり呼ばれ慣れない自分の下の名前を呼ばれたことが嬉しいようなくすぐったいような、
妙な気分になりながら彼女がリボンを結ぶ様子を見ていた。
リボンはかなり緩めに結ばれていて、彼女のブラウスの開いた第二ボタンのあたりでぷらんとぶら下がっている。
あまり綺麗な結び方ではない。
私は微笑み混じりにため息をつき、チェックリストを小脇に抱えて彼女のリボンに手を伸ばした。


 「曲がっていますよ」
 「ひろしくん、今度は新妻みたい」
 「私が新妻なら校門なんかでなく以下同文」
 「ひろしくんはお姑さんにいじめられそう。あ。でもうちのお母さんは凄く優しいから安心してね」


そう言って笑う彼女の真意がわからず、私はただそれに合わせて笑った。


 「どうして指定のブラウスではないんですか?」
 「昨日の夜全部洗濯しちゃった」
 「……ボタン、開けすぎですよ」
 「中にキャミ着てるから平気だよ」
 「キャミソールだって下着同然じゃないですか。いけません」
 「はぁい」


彼女は間延びした返事をしながらボタンを留めた。


 「はい、よくできました」
 「ありがとーございます」
 「いつもちゃんとしていてくださいね。行って良いですよ」


彼女はやはり、はぁいと返事をして歩いて行った。
けれど数歩歩いたところでいきなり振り返る。
彼女の背中を目を細めて見送っていた私は急に彼女と目が合い、
驚きを隠すように下がってきたわけでもない眼鏡を押し上げる仕草をした。


 「わすれてた。――ひろしくん」
 「…なんですか?」
 「おはよーございます」


何か用件があるのかと思ったけれど、彼女は極普通の朝の挨拶を私に投げ掛けながらふわりと微笑んだ。


 「――ええ、おはようございます」


私も微笑んでそう返して、また彼女の背中を見送った。









 「――おはよう、さん」
 「おはよ、幸村くん」
 「やっぱり、服装検査の日だけ妙に着崩して来るんだね」
 「あはは、幸村くんにはお見通しかぁ」
 「柳生相手にいちいち口実が必要なんて奥ゆかしいな」
 「これでもけっこう恥ずかしがり屋さんなんだよ。ひろしくん今日はリボン直してくれたの」