女はわがままな生き物なのです。

だから、たまにはストレートに好意を表現して欲しくなるものなのです。



真田は面白い顔をした。私が思わず小さく吹き出したほどに。
まるで顔文字のような顔をした。
驚いたその面白い顔でほんの少しのあいだ固まったあと、大きなため息をついた。


 「……何をわけのわからんことを」
 「わけわかんなくないもん」


真田は、真っ直ぐ強い芯の通った人、とでも表現すれば良いのか、自分というものがハッキリしている。
誰かに影響されてフラフラ好みや振る舞いが変わるような人ではない。
だから真田は、自分の柄ではないことはとことんできない。

例えば、素直に恋人に好意を表すことだとか。

例えば、ラブレターを書くだとか。


 「だ、だが……何故俺がお前に今更、ら、らぶ、れ、たー、だ、などと……」
 「今更って、何が?」


私は真田の口かららぶれたーだなんて単語が出てきたことが何だかおかしくて、笑いを噛み殺しながら尋ねた。


 「あれは、片想いの者が、…書く、ものだろう」


真田の口から「片想い」という単語が出るのも面白い。
でも私は口に出したらますます真田が書いたラブレターを読みたくなってきたので、鞄から辞書を取り出した。
…因みに、ラブレターが読みたいのは、勿論女子としての甘酸っぱい気持ちもあるのだけれど、
二割くらいは面白そうというのもある。

私は辞書で「恋文」を引いて、真田に見せた。


 「ほら」


 【恋文:恋い慕う気持ちを書いた手紙】


辞書と、ね?と笑う私とを交互に見て、真田は渋い顔をした。
そろそろ折れるかな。


 「書いてよー……」
 「…断る」
 「なんでー」
 「性に合わん」


真田はだんだんといつもの調子を取り戻しつつある。
このままではまた私が妙なことを言い出した、という日常の一コマとして流されてしまう。

私が黙ったものだから、真田は私が諦めたのだと思ったのか、
やれやれ、と息をついて手元の本に視線を戻した。

私は携帯電話の受信メールの「真田」のフォルダの中身を読み返して、
一回りしたあと小さくため息をついた。


 「…そりゃ、真田は良いよ」
 「…何がだ?」
 「だって私は、口でだってメールでだっていつも真田に好きって言うもの。
  いつも、真田に好きっていっぱい伝えてる。口でも、行動でも示すもの」


恐らく、真田が「乙女心」と呼ばれるものを理解できる日は来ないだろう。
それでも何でか私は真田が好きなので普段はあまり気にならないのだけれど、
どこぞの紳士があまりに恋人に優しく接していたり、
悪魔だなんだと恐れられている後輩が恋人と無邪気にじゃれているのを見たりすると、何だかなぁと思えてくるのだ。
隣の芝生ほど青いってのはまさにこれだ。
彼らにはちゃんとうちの芝生は青く見えているのかしら、なんて気にしたって仕方ないのだけれど。


 「いつもそう。お出掛けに誘うのも手を繋ぐのも私から。
  真田が私のこと大事にしてくれてるのはわかってるつもりだよ。
  それでも、こーゆー気分になるときだってあんのよ」


私はずいっと、携帯電話の液晶を真田に向けた。
画面に映っているのは真田からのメール。内容は短く、「わかった」とだけ。
メールがあまり好きではないにしても、いつも「わかった」だとか「すまない」だとか、ほんのちょっとだけの返信。
もう慣れたけど、付き合い始めの頃は何か怒ってるんだろうかと不安になった覚えがある。


 「私が送るメールは?」
 「……いつも賑やかだ」
 「賑やかってあんた……」
 「いや、いつも読んでいて微笑ましい」
 「…なんか不毛な気分になってきた……」


私は携帯電話を閉じて机に突っ伏した。結局何をどうしたかったのかよくわからなくなってしまった。
閉じた電話のサブ画面に表示された時間を見て、あ、と思う。


 「真田、もう部活の時間じゃないの?」
 「あぁ、そうだな。行って来る」
 「ん。頑張って」


真田は本を閉じて大きなテニスバックを背負って立ち上がった。
けれど立ち上がったまま、動こうとしない。


 「…なに?」
 「いや……」


ひとつ咳払いをしたあと、真田は私の横をすり抜けるときに大きな手で私の頭を撫でていった。


 「…長く待たせるが、一緒に帰らないか」
 「――かえる!」


びっくりついでに即答すると、教室の扉の前で真田が笑っていた。




* * *




それから数日が経ったある日、私の下駄箱に一枚の白い封筒が入っていた。
何だろうと思い手に取って見てみると、宛名書きが真田の文字だった。


 「――あっ」


ピーンときた。このあいだ私が言った、ラブレターが欲しいという話を真に受けてくれたらしい。
まさか本当に書いてくれるとは思わなかった。だって真田だもの。
確かに、真面目な真田のことだから頼まれたら努力はするのかもしれないけれど、にしたってラブレター。
正直な話、嬉しさよりも驚きの方が勝っている。でも嬉しいことに変わりはないので、口もとがふにゃんとだらしなくなってしまう。

私はにやける口を手で隠しながら落とすように鞄を床に置いた。
深呼吸をしてゆっくりと封筒を開け、便箋を取り出したあともう一度深呼吸をして、そっと開いた。

内容は予想通りというか何というか縦書きの、とても短いもので。



 【 心をぞ わりなきものと 思ひぬる

           見る物からや こひしかるべき 】


 「………………」


――――………………。


 「………………ええええええええええ?」








放課後の教室に駆け込むと、幸いなことにとても頼りになる人がまだ居てくれた。


 「――れっ、蓮二くん助けて!」
 「…何だ、藪から棒だな」


蓮二くんは眉間にうっすら皺を寄せ、訝かしげに私を見た。
私は手にある便箋を蓮二くんに見せる。
私には、かろうじて和歌だろうな、ということしかわからない。


 「…?」


やっぱり蓮二くんは、不可解だという表情で私と便箋を交互に見た。
……私は今更、頂いたラブレターを他人に見せているという失礼な行為に気が付いた。
えーとえーとどうしよう、どうしよう、と頭の中で考えが巡った結果、私の口から出た言葉は、


 「じゅっ、授業であてられたんだけど全然わかんなくてね!?」


という何だかベタなものだった。


 「……俺とお前は同じクラスだと記憶しているが、今日の授業でそんなことがあった覚えはないな」
 「………………」


そうでした。


 「………あの、もう何でも良いので教えてください…訳とか……ごめんなさい……」


蓮二くんは、ふむ、と息をついたあと、改めて便箋に目を通した。
根拠はないけれど、何だか彼なら文学には詳しそうな気がする。


 「…恐らく、古今和歌集の歌だな。清原深養父の恋歌だろう」
 「…本当に知ってるんだねぇ……」
 「……それを期待していたのではないのか」
 「いや、そうだけど……だってまさか本当に…。…訳までわかる?」
 「わかることはわかる……が、」


蓮二くんは私に便箋を返しながら、どこかイタズラっぽく笑った。
誤魔化すのが下手な私は、この人には見透かされてばかりだ。
それでも嫌な感じがしないのが蓮二くんなのだけれど、何だかたまに悔しい。


 「図書室に行けば資料があるだろう。これは、自分で調べた方が価値があると俺は思うが」
 「あ………うん、そうだね。そうしてみる」
 「ああ。…ところでそれ、弦一郎の筆跡――」
 「ばいばい蓮二くんありがとう!」


ややこしい部分をつっ突かれる前に私は教室をあとにすると、図書室に向かった。思わず駆け足になってしまう。

普段あまり使わない図書室は、どんな風に本が整理されて並んでいるのかちっともわからない。
こんなときに限って図書委員も先生も居ない。
やっと文学の棚から古今和歌集の解説を見つけ出したは良いけれど、……けっこう数がある。

恋歌であるのは間違いないので、その部分から探してもやっぱりけっこうな数だ。
蓮二くんが言っていたのは確か、きよはらのふかやぶ……で合ってるのかな。ちゃんと聞き取れたか自信があまりない。

探しているうちに、いつの間にかテニス部の練習が始まっている時間だった。
出来れば、練習が始まる前に真田に逢いたかったのだけど。


 「―――あっ、あった……!」


心をぞ、わりなきものと、思ひぬる。うん、これだ。
どきどきして、また少し深呼吸をして、解説に目を通した。


 【 心というものは、まことに道理に合わないものであると思うようになりました。

   逢わないでいると恋しくなるので、逢えば恋しさが和むかと思うのに、

                      逢ってしまうとますます恋しさが募るのです。】



――かああぁぁっ、と顔が熱くなっていくのがわかった。

ふ、普段は絶対こんなこと口が裂けても言わないくせに!
何がラブレターは性に合わない、だ。


窓の向こうはテニスコートで、開けっ放しの窓から部員に向けられた真田の大きな声が微かに飛込んできた。
真田の声というだけでばかみたいにどきどきしてしまう自分が何だか情けなく思えて、それでいてくすぐったかった。


とりあえず練習が終わるのを待って、何で和歌なんだよ、って言ってやろう。でも、ありがとうってちゃんと言うんだ。