うちのレギュラーは、本当に損な連中だと思う。
丸井はとばっちりでラケットを壊されるし、赤也は追試の上見なくていいモンを見ちまうし、
参謀はどうやらと部の板挟みに遭って疲弊しているようだ。参謀はなまじと仲が良かっただけに、なかなか災難だ。
柳生やジャッカルは特に何もしていないしされていない。
それなのに部員達や、そして原田の様子を気にして神経をすり減らしている。

…一番憐れなのは、真田かもしれない。
何かと盲目的な真田は、すっかり原田に騙されそのまま暴走しているように思う。真田はもう何度もをぶん殴っている。
例えば何かの拍子に、すべて原田の策略だと露見したら、真田はどんな顔をするだろう。考えるとけっこう愉快だ。

どいつもこいつも上手く立ち回れていない。――まあ幸村は論外だが。あいつにはほとほと感服する。
原田の思惑など、俺には関係のないことだ。それならば、


「(どうせなら、楽しんだもん勝ち――じゃろ)」


普通なら有り得ないこの状況。利用して楽しまんで、どうする?



授業が終わってのろのろ部活へ行くと、コートが騒がしかった。
練習が始まる前にコートでゲームをするのは自由だが、今日は少し様子がおかしい。
部員のほとんどがフェンスに沿ってコートを取り囲み、中のゲームを見ている。


 「なーにやっとるんじゃ」
 「あ……仁王君」


柳生は戸惑いの色を隠しもせず振り返る。
説明する代わりに、柳生は一歩引いて俺にコートの中が見えるようにした。
コートの中では、赤也と、――が、ゲームをしていた。


 「切原君が持ち掛けたようです。さんが負けたら、マネージャーを辞めるという条件で」
 「赤也らしいのぅ…。で?誰も止めんのか?」
 「……さんが、自分の意志で受けたゲームですから」
 「まさか。柳生、言い訳せんで良か、責めたりせん。止めんで見てる奴ら全員同罪じゃろ」


が赤也に勝てるはずがないし、が赤也の出した無茶な条件を呑んでゲームを受けるはずもない。
だがそこで、受けませんと言えないのが集団の力だ。
ゲームを受けて負ければ退部。ゲームを受けなければ不戦敗で退部。なら受けて立つしかない。

ゲームはどうやら3−1らしい。
選手として一年のブランクのある奴、それも女子が、赤也から1ゲーム取っただけでも賞賛に値する。

だが、の選手生命を絶つきっかけとなった右肩は、そろそろ限界が近いようだ。打ち返されるボールに力が無い。
息の上がり方も、汗の量も、赤也の比ではない。それでも、負けたくないという一心でボールに喰らい付いていく。
去年に比べれば、の技術や体力は大分失われている。
だがあの気力、集中力、根性――この期に及んで、スマッシュを決めてけつかる。
マネージャーとして、部員の練習や試合を記録、観察していただけのことはある。赤也の苦手コースを熟知した攻めだ。
今のに、去年ほどの力があったなら、赤也に勝っていたかもしれない。

しかし、現実においてifは意味を成さない。5−2。いよいよ終わりが見えてきた。
参謀が眉間に皺を寄せながらもゲームを黙って見守っているところを見ると、あいつもの退部を狙っているのかもしれない。
――そんなつまらん結末にはさせん。


 「あ、ちょ……っ、仁王君!?」


コートのフェンスにたかる連中を押しのけ、俺は中に入った。赤也もも熱中していて気が付いていない。
はとっくに限界を過ぎているのかもしれない。あれがある種の無我の境地と言われても俺は納得する。
人だかりの隙間から、向こうから歩いてくる二人の姿を認めて、俺は赤也を止めるべくコートの中に一歩踏み出す。
ボールを打ち返そうと振り上げたラケットを、その手ごと掴む。
ボールはラケットの下をすり抜け、ゆるゆると転がっていった。赤也は驚いて一瞬呻く。


 「な…に、するんすか、仁王先輩」
 「タイムオーバーじゃ、赤也。幸村と真田が来たぜよ」


指差したのと同時に、何事だ!という真田の馬鹿でかい声が飛んできた。
ネットの向こうに目をやると、は集中と緊張の糸が切れたようだ。
倒れるように地面に両手をついて、肩を上下させ荒い呼吸を繰り返している。
参謀に目配せすると、少し躊躇ったあとに駆け寄った。つくづく、不器用な男だと思う。
の右腕は、壊れた人形のようにだらりと肩からぶら下がっている。
参謀は割れ物を扱うような手つきでを背負うと、保健室へ行ってくる、と一言残して歩いて行った。

幸村の一声で、コートを取り囲んでいた連中が散り散りになっていく。
赤也はばつの悪そうな表情で俯いたままだ。
参謀のように上手く赤也の本音を引き出せるかはわからないが、
とりあえずこういうときに参謀がよくするように、赤也の頭にぽんと手を置いてみる。


 「…どうしてこんな滅茶苦茶なゲームを持ち掛けたんじゃ」
 「何だっていいじゃないすか。
  …みんな、あの人がマネ辞めればいいって思ってるから、手っ取り早く辞めてもらおうと思っただけっすよ」
 「嘘はいかんぜよ、赤也」


赤也はしばらく押し黙ったあと、ぐすり、と鼻をすすった。
漏れる吐息が震えだす。やばい、こいつ泣く。
右手でラケットを強く握り締め、左手の甲で涙を拭いながら、赤也はやっと次の言葉を発した。


 「楽しくないんすよ……っ!!」


――本当に、どいつもこいつも。


 「俺はただっ、楽しくテニスがしたいだけなのに…っ、最近、全っ然部活が楽しくないんすよ…!
  丸井先輩も柳先輩もずっと難しい顔してるし、柳生先輩やジャッカル先輩は溜め息ばっかだし、
  真田副部長は先輩ぶん殴ってるし…っ。俺が何やったって、先輩、ひたすら我慢して…!
  ――何であの人あんなに我慢できんすか!?何で辞めたくなんないんすか!?
  これ以上ここにいたら、あの人どうにかなっちまうよ……っ!!」


不器用で損な連中、ばっかりだ。

要は思惑を表に出していない所為で空回ったという話だ。
は部員に罵声や暴力を浴びせられながらも、マネージャーを辞めようとはしない。
取り返しのつかない事態が起こらないとも言い切れない。赤也はそれを懸念しているんだろう。

だがあいつは、は、人に言われたからといって辞めるような女じゃない。それならもうとっくに辞めているだろう。
なら、の我慢の限界を越えさせるしかない。自らの意志で退部を選択させるしかない。
恐らく、参謀も同じような腹づもりなんだろう。
だから、を心配しているのがバレバレでありながらも、手を出して助けようとはしない。


 「昨日、にドリンクをぶっかけたんも、ソレか」
 「あれは…ちょっと、やりすぎたっす。まさか、他の奴らがあんなに乗ってくるなんて思わなくて。
  でも俺、先輩が辞めたら、土下座でも何でもするつもりで……っ!」
 「もう良か、赤也。…は、そんなんで辞めるタマじゃなかよ」


あいつは、やられればやられる程反骨精神に火がつくタイプだ。
赤也が4ゲーム取ったところで急に追い上げ、もう1ゲーム奪ったのもそれだろう。

そもそも、を退部させるという選択がまず無理だ。かと言って表立っての味方をするのは難しい。
これ以上波紋が広がると幸村も黙っていないだろうし、“集団”の側からはみ出すのも厄介だ。
それに、真田を相手にするのはしんどい。

結局は“現状維持”。このまま三年の引退を待つしかない。
――だが無論、それでは面白くない。


 「何が目的なんかのぉ………」


どうもすっきりしない。原田は何がしたい?

男目当てでマネージャーになったが仕事は面倒臭い――違う。
仕事自体は原田もこなしているし、仕事ぶりも特に問題はない。
先輩であるにいびられた腹いせ――違う。
は厳しい人間ではあるが、フォローも忘れていなかった筈だ。
事実今回の騒動まで、原田はを慕っているのだと思っていた。
ただ単にが気に入らない――これも違う。それにしてはやり方が回りくどい。

何かもっとこう、重い何かがある気がする。抱えれば吐き気のしそうな、何かが。



 「――さっきのゲーム。お前さんにしてみれば止めん方が良かったんかの」


誰も居ない部室。原田は背を向けてボトルに計量スプーンでドリンクの粉を量り入れていた。
声をかけても反応はない。所謂シカトだ。いい根性だと思う。


 「そういや、ドリンク作り方は上達したようじゃな。どっちが作っても塩梅ええ」


ばんっ。乱暴に戸棚が閉められる。
原田はやっとこっちを向いた。と思ったら、なかなか舐めた口をきいてきた。


 「わたし、仁王先輩みたいな人と話すのは、嫌いです」
 「苦手じゃなく嫌いとくるか。悪いコトした覚えはないんじゃが」
 「“何でもお見通しだ”みたいな態度が、いやです」
 「そりゃ見通されて困るモンがあるからじゃろ」
 「…そういうのがいやだって言ってるんですよ」


原田はカゴに大量のボトルを収めると、それを両手にぶら下げて歩き出した。
扉の前に立つ俺を見上げて睨む。


 「…通れないんですけど」
 「見通せんから、こうして直接訊きにきた。――お前さんは、何が目的なんじゃ」


俯き気味の原田の唇が、僅かに動いた。声は発されていない。
――わからん女だ。


 「何にしたって、漁夫の利を狙ってる仁王先輩のマイナスにはならないと思います」


いつもの明るい声音と表情で言うと、原田は小柄な身体でするりと俺を避けて部室を出て行った。
お見通しなのはお互い様らしい。加えて言うなら、タチが悪いのもお互い様だ。


保健室へ様子を見に行こうとすると、途中で参謀とすれ違った。どうやら追い出されたらしい。
辛辣な言葉を浴びせられたに違いない。想像すると苦笑が漏れた。
参謀は俺を見て何かを言おうとしたようだが、結局無言で廊下の曲がり角へ消えた。

保健室へ行くと、は肩を抑えながらただじっとしていた。
唇をきゅっと結んで、どこかを睨み付けるような眼で。しかしその視線の先には何もない。
俺が来たことに気付くと、弾かれたように顔を上げ、救急箱を漁り始めた。
校医は不在らしい。好都合だ。


 「…練習、戻りなよ」
 「の方が大事じゃ」


真顔で言ったにも関わらず、は顔を歪めるだけだった。
大抵の女は、真顔で低く甘く言葉を吐けばすぐに勘違いをする。
そうして落として堕として、それでいて舞い上がらせて、最後にあっさりと捨てるのが好きなのだ、俺は。
その瞬間の女の顔というのかたまらない。それが美人であったり、落とすのに手間取った女なら格別だ。
を標的とするのにはそう時間はかからなかった。見るからに気難しそうな女だったからだ。

いつものようにすぐに終わると思っていたがそうでもない。
どんな口説き文句を並べても、は“からかうな”と言わんばかりに顔を歪めるばかりだった。
手強い相手で、だんだんとどーでもよくなってきた矢先、――今回広がった波紋だ。
失せかけていたへの興味が再び湧いてきた。

の眼――特に、痛めつけられているときの眼だ。
眼は口ほどにものを言うとはよく言ったもので、の眼は本当にお喋りだった。
――「ふざけんな」、「何で私が」、「何も知らないくせに」。
口に出しても良いことなどひとつもないから出さないだけだ。
そんな眼が真田などは気に入らないらしいが、俺は惹きつけられた。
さっきの赤也とのゲーム中にも見せた、あのぎらぎらした眼――支配欲を掻き立てられる。
支配したい、俺に夢中にさせたい、すがらせたい。
支配して夢中にさせてすがらせて、最後に叩き落としたい――久々に背筋がぞくぞくした。
だから今まで、弱っているところにつけ込もうと様子を窺っていた。漁夫の利とはよく言ったもんだ。

当のはというと、半分に切った湿布を手に、どうしたものかという顔をしている。


 「自分じゃ貼りづらいじゃろ、貸しんしゃい」


仕方なさそうな顔をして、は湿布を差し出す。
うしろを向いて、このへん、と肩の少しうしろに手を当てた。
湿布とは対照的に、熱を持った肩。さらさらとした黒髪をよけて、湿布を貼る。
役目を終えた透明なフィルムをくしゃりと握る。
白い首筋に指を這わすと、ぞわりとが鳥肌をたてたのがわかった。
そこまで全身で拒絶の色を示さなくても、と思う。


 「…、俺なら、――お前を護ってやれる」


はぐっと拳を握った。じっと考えを巡らせているようにも、ただ言葉を失っているようにも見える。
俺はフィルムをごみ箱へ投げ入れると、丸椅子を引っ張ってきての正面に座った。


 「……護るって、何なの」


最近聞くの声は、押し殺したような低い声ばかりだ。


 「クラスは違うし家の方向だって違うし、練習中も仁王は自分の練習があるでしょ!?適当なこと言わないでよ!
  ――もうみんなと前みたいにはなれない……っ。それなら、誰に護られたってそんなの意味なんか無いよ…っ!」
 「独りで、辛くないんか」
 「…仁王が傍にいたって、女の子達がますます怒り狂うだけだよ」
 「じゃが、」


口を開いたのと同時に、保健室の扉も開いた。
振り返ると、予想だにしなかった人物――原田が、手に荷物を持って立っていた。
が息を呑むのがわかる。


 「…先輩。幸村部長が、今日は病院に行け、だそうです。切原先輩は副部長に一発くらってました。
  仁王先輩も、早く戻らないと同じ目に遭いますよ。じゃ、伝えましたから」


早口でそう述べて、原田はのものらしい荷物を置くと、こちらに目もくれず出て行った。
俺も仕方なく立ち上がる。


 「…ま、お大事に」


廊下の向こうには、まだ原田の小さな背中が見えた。

あの時僅かに動いた、原田の唇。
声は発されていない。無論、読唇術なども心得ていない。だから根拠も何も無い。
それでも確信はある。あの時原田は確かに言葉を紡いだ。
――ふくしゅう、と。