お医者さんは、凄く気を遣って色々と言葉を選んで随分と遠回りな説明をしてくれたけれど、
結論から言ってしまえば私はもうテニスが出来ないらしい。
それほど肩はひどい状態だった。道理で痛い筈だ。
とは言ってもまったく出来ないわけではなくて、日常生活やちょっとした運動なら問題はない。
ただ、選手としてきつい練習をしたり、長時間の試合は無理だというのが私に突きつけられた結果だった。
自業自得だとわかっていた。悔しいは悔しいけれど、自分の所為だ。私はそれを受け入れるしかない。
先輩達には、気付けなくてごめんと謝られた。どう考えたって、言い出せなかった私の所為なのに。
私はただひとつ、先輩達を全国へと送り出せなかったことが悔しかった。
やっぱり試合を降りるべきだったんだ。…なんて、最悪のケースに陥った今ならどうとでも言える。
先輩達の引退の日、私は涙をぼろぼろこぼしながら先輩達に謝った。
ごめんなさい、ごめんなさい。私の所為で全国へ行けませんでした。
ごめんなさい。私の勝手の所為で。先輩達はもっと上へ行けました。ごめんなさい。
そう繰り返す私の頭を、部長が少し荒い手つきで撫でて、良いんだよ、楽しかったから。とだけ言った。
横で副部長が、少しは頼って欲しかったけどね、と寂しそうに笑いながら言うものだから、私はまた泣き出してしまった。
ごめんなさい、ありがとうございます。そのふたつを繰り返しながら。
だから私は決めた。来年は必ず全国大会へ行くと。
私はもう選手としてテニスコートには立てないけれど、
マネージャーとしてみんなを全力でサポートして、来年こそはみんなを全国大会へ送り出そうと。
私自身、マネージャーが居ないことで不便だと感じたことがあったし、
今まで一年生の仕事だった雑用もすべて引き受けて、一年生にも練習に専念して欲しかった。
そうすることが、私が部に出来る償いだと思った。――というのは本音であり建て前でもある。
私は、テニスから離れることが耐えらなかったのだ。
そうして、マネージャーとしてリスタートした晩夏。
私は、自分がどれだけ身勝手かようやく知ることになる。
世の中はそんなに甘いもんじゃない、と、中二にして思い知ってしまった。
私は現部長に呼び出された。
自分勝手だというのは、わかっていた。
私の所為で全国大会へ行けなかった。なら私を疎ましく思う人は当然居るはずだ。
私が部を去ることが、彼女らにとっては一番良かったのだろう。
でも私は、残ることを決めた。そう、これだって覚悟の上だったはずだ。
――なのに、怖くて足が少し震える。
「……目障りなんだよね、正直」
私は唇をきゅっと結んで、続くであろう言葉への覚悟を今度こそ決めた。
「あんたの勝手の所為で全国に行けなかった。先輩達がどんだけ練習してきたかあんただってわかってたでしょ?」
「……うん」
「それをあんたが台無しにしたんだ」
「……うん」
「…そんなにレギュラーの座を手放したくなかったの?怪我をしてるなら言うのが当然でしょ?
黙ってた上に負けるなんて最悪の形だってわかってる?」
「……うん」
「………怪我のこと、言わなかったの?言えなかったの?」
それは、私自身も自問自答を繰り返していた。でも結局答えは見つかっていない。
レギュラーになれたことが嬉しかった。試合に出られるのが嬉しかった。出来るだけたくさん試合をしたかった。
でも、私が望んでいたのは、自分の勝利じゃなくて部の勝利だ。
ならちゃんと言うべきだった。ちゃんと言って、万全な人に試合を託すべきだった。
なら、どうしてそうしなかった?――そこから先の言葉が出て来ない。だから私は、答えられない。
「――黙ってないで何か言ってくれる?」
「……ごめん。わかんないんだ、自分でも」
「っ、あんたが……っ、――あんたがちゃんと言ってたら、あたしがレギュラーだったんだ!あたしなら勝てた……っ!!」
元々、彼女と私に実力の差はほとんどなかった。ただ、部内の試合での組み合わせで私の運が良かっただけだ。
彼女の言う通り、私が降りれば彼女が試合に出ていた。
彼女は、私が自分よりも強いと認めていた。だからこそ、あんな結果が悔しくてならないんだろう。私は返す言葉もない。
「…………ごめん」
「…謝るくらいなら、出て行って。部を辞めて。マネージャーとかサポートとか、あたしは鬱陶しい。
あたしは部は今までの形で良い。あんたが居るだけで嫌。あんたが居るだけで悔しくて不快。
あんたが居なくたって、あたし達は全国へ行ってみせる」
「……うん、でも、辞めたくないから。何を言われても、私はテニス部を辞めたくない。それが、ごめん」
そう、そのときの私は本当に、何を言われても、何をされても女子テニス部を辞めるつもりなんかなかった。
それなのに、私は冬に女子テニス部を去り、男子テニス部に迎えられることになる。
自分の身勝手さと甘さに吐き気がする。
それでも、私は垂らされた細い蜘蛛の糸を掴まずにはいられなかったんだ。
「―――……」
自分の名前を呼ばれて、私はゆっくり目を開けた。
意識が浮上してくるにつれ、頭がくらくらする感覚がはっきりする。
声がした方へ目を向けると、呆れたような驚いたような表情の蓮二が居た。
「そんなところで寝ていると干からびるぞ」
屋上で時間を潰すうち、私は眠ってしまっていたようだった。
わずかな日陰に身体をねじ込んだけれど、半身は日差しにさらされたままだ。頭がくらくらするのはその所為だろうか。
「……暑い」
「もう一時間目は終わったぞ」
「そう。…じゃ、戻る」
「……――」
保健室で氷嚢でも借りて頭を冷やしてから授業に戻ろう、なんて考えながら立ち上がり、
蓮二の横をすり抜けたところで呼び止められた。
私は正直、蓮二の接し方に戸惑っていた。
真田達のようにあからさまに私を煙たがっている風ではないし、幸村のように我関せずといった態度を決め込んでいる風でもない。
一年の頃からずっと同じクラスで、確かに仲は良かった。私を男子テニス部に誘ったのも蓮二だ。
今も、言葉を交わす回数は減ったと言えば減ったけれど、こうしてたまに会話をするときは今までと変わった点はあまりない。
彼は原田の嘘には気付いているのだろうか。
……いや、気付いていようとなかろうと大した問題じゃない。事態を放置していることには変わりはないのだから。
期待なんか、しちゃいけない。私に味方は居ないのだ。
「なに?」
蓮二は少し間を置いて、静かな声で言い放った。
「マネージャーを、辞めるつもりはないのか」
それは、あの真田ですら言わなかったことだ。
「…それは、“辞めろ”って言ってるの?」
「そう、とってもらって構わない」
――ほら、期待なんかするから、痛い目に遭うんだ。
助け舟を出してくれるかもしれないなんて思ってしまったから、
今の蓮二の言葉がこれほどに痛い。蜘蛛の糸に二度目はないんだ。
「…………ごめん」
私はそれだけ言って、階段を駆け降りた。
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