立海の女子テニス部は、全国制覇を成し遂げた男子テニス部に比べるといまいちぱっとしない実績だった。
関東大会には必ず駒を進めるのだけれど、全国へはどうにも手が届かない。そんな感じだ。
でも、去年は違った。あと一勝すれば全国への切符を手に出来るというところまできていた。
悲願の全国大会は、もうすぐそこだったのだ。
私はというと、必死に練習をした甲斐あって、二年生で唯一のレギュラーだった。
思えば、その時から同学年の部員の反感は買っていたのかもしれない。
出る杭は打たれるし、背の高すぎるどんぐりは土俵から追い出される。
それでも、私は試合に出られるのが嬉しくて仕方なかったんだ。
だけど、試合の流れは完全に相手校が握っていて、
ダブルスをふたつとも落とし、後がない状態でシングルス3が行われることとなる。
当然私は震え上がったのだけど、先輩達は笑った。
ダブルスをふたつとも落としたのは私らの責任だから、あんたは気にしないで自分のテニスをやってきな。
そう言って、私をコートへ送り出した。明るく朗らかな先輩達が、私は大好きだった。
そうして、シングルス3が炎天下の中始まった。じりじりと肌を灼くような日差しが辛かった。
――声援は確かに耳に届いているのに、私は何故だか、静かだな、と感じた。
肩を中心とするように、どくんどくんと脈打つ音が聞こえる。痛い。肩が痛い。ラケットを持つ右手が震えた。
でも試合はとっくに始まっているし、ここで負ければまた立海女子テニス部は関東止まりだ。
肩に痛みを覚えたのは初めてじゃない。ハードな練習をこなしたあとに時々感じた。
でも、肩こりに似たような痛みだったし、一晩休めば痛みは朝には消えていることがほとんどだった。
――なのに、今日に限って、こんなに痛む。
その日の朝は小さな違和感だった。ただほんの少し右肩が重いな、くらいで、気にするほどじゃなかったんだ。
でもその違和感はウォーミングアップのときにも続き、試合を重ね、そして勝つごとに違和感はやがて痛みへと変わっていった。
勝ち進んで高揚していく部内の空気の中、誰かに痛みを訴えることが出来なかった。
…でも大丈夫。試合はいい感じで進んでいる。
ゲームは5−4、ポイントは15−15。勝てる。あともう少し。
私が流れを変えるんだ。勝ってシングルス2に繋げれば、あとは部長と副部長が必ず勝ってくれる。
あと少しだけで良いから、と肩を撫でながら念じた。
サーブを打つたび、打ち返すたび、スマッシュを打つたび、肩には熱さにも似た痛みが走る。
でもお願いもう少し。この試合にさえ勝てれば良い。
全国大会の幕開けまではまだある。その間に何が何でも治すから。
だからお願い、あと少しだけ保って…!
「――30−15!」
わあっ、と歓声が上がる。
みんな、もう私の勝ちを信じてくれている。
あとたったの二球決めれば勝ちなんだ。
大丈夫、勝てる。一気に決める。時間をかけていられる余裕はない。
睫に乗った汗を顔を振って落とし、相手を睨んだ。
向こうも全国大会には初めて進む学校だ。私に勝てば、彼女達は全国へと進める。
――させるもんか。
この試合、ネット際とライン上の両方を狙ってきた。
素早い前後の動きはけっこう辛い。相手の子も汗だくで、息は整え切れていない。
スタミナ切れ。私にはそう見えた。今日はいつにも増して暑い。
彼女はだんだんと、ネット際のボールへの食らいつきが遅くなってきていた。
――そして、私が待っていた時がきた。
ネット際へ間に合わず、それでも何とか打ち返されたボールは、大きく緩やかな弧を描いて私のコートに入ってくる。
決めろ、!――部長の声が聞こえた。
数歩後ろに下がって、私はボールを待ち構えた。ここに来る。返せる。決める。
ボールを待ち構えるとき、落ちてくるボールはやけにゆっくりに見える。
私は、この瞬間が何より好きだった。
「(ここだ……っ)」
構えたラケットを、思い切り振った。
――驚くほど、手応えが、なかった。
「あ……っ………え………?」
あたりに響いたのは、ボールが地面に叩き付けられる音でもなければ、歓声でもなかった。
からん、と乾いた音をたてて、ラケットが転がっている。私の右手に、ラケットはなかった。
びりびり、びりびり、右肩から腕や手まで痺れる。見つめた手のひらが震えていた。
誰かが、困惑した声で私の名を呼んだ。
「――きみ。どうした?……続けられるかい?」
「あっ……だ、大丈夫です、続けます……っ!」
「では、――30−30!」
審判の声にはっとした。ここで続けられなかったらどうなるか。考えると血の気が引いていくようだった。
右腕を軽く振ると、痺れが薄れるどころかますます痛んだ。
左手で拾ったラケットを、ゆっくり右手に持っていく。
……私の右手は、私の身体から離れてしまったかのように、まったく動かなかった。
どうして。動かない。ラケットが握れない。
「きみ、……大丈夫か?」
「平気で、す……つ、続けます、続けられます…っ」
「――」
いつの間にか、ベンチにいた部長がコートに近付いていた。
一目審判に目配せしたあと、コートに入ってくる。
「ぶ、部長……わ、私、まだ試合、出来ます…っ」
「、」
「これで終わりなんかじゃないです……!かっ、勝てます……っ!!」
「、お疲れさま。頑張ったね」
違う、違います。全然頑張れてなんかないです。
もっとやれます。勝てます。だから部長達も勝ってください。全国へ行ってください。
お願いです、お願いだから、
「審判、試合の続行は無理です。――棄権します」
そんなこと、言わないで。
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