保健室に向かう間も、腕からは血が流れた。
廊下の白い床の所々に、点々とした跡が残っていく。
一体何かと思った。
ドリンクを作っていたら、赤也がいきなり突っ込んできた。
『アンタあんなことする人じゃなかったろ!?』
今度は何だろう。何が私の所為にされたんだ?
赤也の口振りでは、また原田絡みらしい。一体彼女は私をどうしたいのだろう。
保健室で少し大袈裟な手当てをしてもらったあとコートに戻ろうとしたら、
原田が待ち構えるようにして昇降口に立っていた。薄ら笑っている。
「……今度は、何をしたの?」
原田はくすりと笑って、Tシャツを少しめくって見せた。
――服で隠れていた部分にあったのは、痛々しい痣や火傷の数々。
「利用できるものは最大限利用するのが賢いやり方ですよね。…どうしてもっと早く気が付かなかったんだろう」
「なに、それ………」
「――これ、先輩にやられたことになってますから」
「はあ!?」
赤也が言っていたのはこのことだったのか。
原田が私に何をしたかって?
まったくとんでもない仕打ちを、彼女は私に用意しているんだよ、赤也。
「……ずっと、訊きたかった。あんたは何がしたいの?
ブン太のラケットを壊して、みんなに色んな嘘をついて。私が気に喰わないなら正々堂々そう言えば良いのよ」
原田の顔から、薄っぺらい笑顔が消えた。
「正々堂々なんてするわけないじゃないですか。だってこれは喧嘩なんかじゃないんですから」
原田は私に歩み寄って来て、手当てをしたばかりの包帯が巻かれた私の腕を爪を立てて強く掴んだ。
ずくりとした痛みが走る。
「わたし、あなたを陥れる為なら、――どんなに嫌な女にだってなってみせます」
そう囁かれて、……こいつは、もしかしたら本当にいかれてるんじゃないかと思った。
でもその声があまりに冷たくて、私は反応出来ない。
原田が私の腕を離してから、声を絞り出すのがやっとだった。
「私が……あんたに何したっていうの」
確かに、原田が入部したてのときは随分と厳しいことも言った。
でもそれは、私が引退する前に私以上のマネージャーになって欲しかったからだし、ここまで言われる覚えもない。
「……だから、わたしはあなたが大嫌い」
それきり何も言わず、原田はコートの方へ歩いて行った。
答えになってない。だからって何だ、だからって。
コートに戻った私には、以前にも増して鋭く冷たい視線が突き刺さるばかりだった。
――私はまた、ひとりになった。
翌朝学校に行くと、上靴がなくなっていた。
ついにきた。所謂“いじめ”が幕を開けたのだ。
テニス部の連中のカリスマぶりは半端ない。
それまでマネージャーの居なかった男子テニス部に、
柳蓮二に誘われてマネージャーになったという時点で私は全校の女子生徒の羨望と嫉妬の的になったのだ。
…よくよく考えてみると、今まで何もされなかったことの方が不思議なくらいだったのかもしれない。
無いものは無いので、私は靴下を脱いで、裸足でぺたぺたとひんやりした廊下を歩いた。
夏でも冷たい廊下は、少し汗ばんだ足に心地よかった。
廊下を歩いていると、くすくすと女の子特有の小さな笑い声が聞こえてくる。
その中には知った顔もちらほらあった。
裸足で廊下を歩いていようがくすくす笑われようが、すべて無視できる神経の図太さには我ながら感心する。
教室に着くと、一応机には異常はなかった。
席に着くと、あっちこっちであることないこと噂されているのが耳に入ってくる。
外界を遮断したくて、机に顔を伏せた。目を閉じて、無理に眠りに就こうとする。
でもそれも叶わなくて、肩を誰かに叩かれた。
「裸足でどうしたの?靴は?」
――女テニの部長だ。半歩後ろに、同じく女テニの部員が二人いる。部長の横で、二人がくすくす笑った。
私は、一年の頃から彼女らとうまが合わない。話していてもいいことなんてひとつもない。
まだ始業まで時間がある。私は一応荷物を持って立ち上がった。屋上にでも行こう。
彼女は無視されたことが気に喰わないのか、上靴を履いた足で、私の裸足を踏んだ。
「上手く乗り換えたのに、残念だったね」
「……はあ?」
「男テニでも嫌われちゃったんだって?もう、テニスに関わるのやめたら?みんなが迷惑なんだから」
私の中で、かちん、という音が聞こえた気がした。それは私の深淵にあるもの。
「勝手に言ってなよ」
辞めてなんかやるもんか。
私は何もしていないんだから。
屋上に出ると、まだ日陰の出来ていないその場所はぎらぎらして暑かった。
白い床の照り返しがきつい。
夏のこの空はいつも変わらない。ただただ青い。
何よりも深い絶望の青。
去年の関東大会も、こんな風に灼けるような日差しが、選手達の体力をじわじわと奪っていた。
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